投稿

10月, 2022の投稿を表示しています

第727号 2022/10/29 「愛の世界」

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第727号 2022/10/29    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆☆☆ 東京での対面セッションは12月12日(月)まで ☆☆☆ (詳しくはメールの後ろで) ☆1… 愛の世界 ……………………………………………………………………☆ 例えば、テレビなどで誰かの発言を見て、そんなことを言ったら批判されるのではないか、 と心配になるとか、 政治の施策や、仕組みに、不満や憤りを感じるとか、 環境破壊について憂えるとか、 そのようなことは、自分から離れたところで起こっているように見えて、 自分にはどうすることもできず、それでも自分がその影響を受ける可能性があり、 恐れを育て、維持する原因となっています。 自分が見たものについて、自我が、恐れを育てるような反応をするのは、 自分が攻撃されると信じているからです。 遠くで起きているように見える恐れを抱かせるような何かは、それでも、 原因は、私たちの中にあります。 世界情勢や環境など、恐れを抱かせる要因は様々ですが、 私たちの潜在的な理解では、世界が、恐れるようなものを土台にして、 その上に立っているように見えています。 私たちが潜在的に信じている世界の土台とは、なんでしょうか。 以前は、私たちは、神が世界を作ったと信じていたのですから、 その神に見ていたものが、世界の土台だと思われているはずです。 愛である神とは別の「この世界の神」だと信じられてきたものは、 どのように見えたとしても・・・・ ○人間は、未熟であり成長の余地がある。 ○自分の決まりごとを守らなければ罰を与える。 ○突然、予測できない不幸を与え、それを試練だとして、 乗り越えなければいけないと教える。 ○不幸はすべて個々の人間が悪い行いをしたせいであり、 それが前世のものであっても、決して逃れることはできない。 ○どれほどのものを得ようとも、最後には死によって、 すべてを奪われる。 ということを私たちに信じさせてきたのです。 愛とはかけ離れたこれらの教義を押し付ける「この世界の神」は、 恐れられるの

第726号 2022/10/22 「融合」

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第726号 2022/10/22    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 融合 …………………………………………………………………………☆ 嫌悪感というのは、表面的な態度にかかわらず、内面的な拒絶です。 私たちが、誰かや何かを嫌うときには、様々な理由付けをしますが、 それは、自分の嫌悪(拒絶)を正当化するためのものです。 この世界はすべて私たちの内面の投影です。 私たちが自分の外側に見ている拒絶したい誰かは、 最初に自分の中で拒絶され、それが外側に投影されたものであり、 その誰かを拒絶することで、私たちは「自分」が守られているという安心を得ます。 その自分とは、自分が許容できる自分の要素を集めて囲い、 許容できないものをその外側に押し出したような、自我の創作物です。 それは大海の一部を枠で囲って、その小さな囲いの中の水が自分であり、 他の部分とは無関係だと主張するようなものです。 私たちは、嫌いな人にいなくなって欲しいと思いますが、 その表面的な意識のすぐ下では、拒絶することで、 自分がその人(拒絶した自分の一部)とは別の存在であると認識して、 安心を得ているのです。 ですから、特徴や人が変わっても、嫌いな人が途切れることはありません。 そのような自我のシステムでは、幸せなど不可能です。 嫌悪や拒絶は、愛とは無関係です。 私たちは、嫌いな誰かと仲良くする必要はありませんが、その誰かとして投影された、 自分の内側で拒絶された部分と融合する必要はあります。 嫌いな誰かやその特徴を手掛かりに、自分の内側に目を向ければ、 そこに自分が嫌悪するような何かを見つけることができます。 そのことで、動揺したり、自分を責めたりすることがあったとして、 (そのような気持ちになるからこそ内側に目を向けなかったのですから) それも、自我の一部でしかありません。 嫌悪を感じている心の部分も、自我のものであり、拒絶した部分と同様に、 癒される必要があるのです。 嫌悪した部分と、嫌悪している部分の両方が、心の内側にありますが、

第725号 2022/10/15

☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第725号 2022/10/15    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 愛を与える …………………………………………………………………☆ 愛を与えるとは、「私の愛」を別の誰かに与えるという意味ではありません。 この世界では、個人的な愛を別の個人に与えることができると考えられており、 行為や物質を通して、自分の何かが減り、相手の何かが増えるように見えます。 「あなたに愛がない」から、「私の愛」を与えようと考える場合もあります。 神は愛であり、神がすべてなのですから、愛のない場所は存在しません。 個人的な愛などという考えは誤りであり、個人と個人の間を愛が移動することはありません。 ならば、愛を与えるとはどのようなことなのでしょう。 神は私たちに愛を与えていますが、それは私たちに愛がないからではなく、 私たちが、すでに愛を持っており、愛そのものであるということを知らせるためです。 私たち(の自我)は、自分は愛ではなく、神と離れた存在であると主張していますが、 神が与える愛は、その誤った信念を消し去り、真実を認識できるようにしてくれるのです。 私たちが、神に助けを求めるとき、清らかな愛の光がやってきて、 私たちが実在すると信じている誤りが実在しないことを教えてくれます。 そして、誤りから生まれた幻影を見ていたところに、愛を見るようになるのです。 愛はそのようにして、本来の場所に帰ってきます。 私たちは、愛と同じように、愛を与えなければいけません。 私たちが、誰かや何かに向かって、愛を与えるときには、 「私たちはともに神とひとつであり、愛そのものである」 というメッセージを届けるのです。 それは、また、 「私はあなたを愛でないものとして見ていましたが、真実に従って、 神とひとつの愛として認識します」 という宣言でもあります。 誰かを愛でないものとして見るのは、自分を愛だと思っていない部分があり、 相手も同じだと見なしたいのです。 愛ではないものとして見ていた誰かを愛として認識するとき、自分もまた、 同じ愛で

第724号 2022/10/08

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第724号 2022/10/08    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 新しい世界 …………………………………………………………………☆ 肉体の目は、自我が、自らの内にある罪悪感と恐れを映し出した世界を 見るためのものです。 だから世界は危険に満ちているように見えるのです。 いつ何時、何が起こるかわからず、油断をすれば騙されるかもしれず、 誰かから理由なく攻撃される可能性があり・・・・ 自分を守るためには、外側に意識を向けていなければいけません。 恐れによって締め付けられた心は、それが当たり前だと信じ込んでいます。 愛は、内側に目を向けるようにと、私たちを導いてきました。 そして、愛のまなざしによって、愛の光の中で、内側を見るとき、 私たちの中にも、愛と同じ清らかな光を見出すのです。 私たちは、私たちの内側にある清らかな光の映し出された世界を見ることができます。 愛のまなざしは外観を貫いて、その背後にある自らの内にあるのと同じ愛の光を見、 安心して、ひとつに繋がります。 愛の一体性の中に、危険の入り込む余地はありません。 そこには危害を加えるものも、傷つくものも存在し得ないからです。 私たちが愛のまなざしで見ることを選んだときから、肉体の目とは別に、 愛の映し出された世界を見るようになります。 それは最初は、意識下の認識でしかありませんが、それでも、 自らの属しているのが、本当は、愛の世界であることを感じている心は、 穏やかに安心していきます。 自我が小さくなれば小さくなるほど・・・・ 相変わらずの世界が見えていたとしても、そこに危険があると感じなくなり、 そのような状況を体験することもなくなっていきます。 世界は何も変わっていないように見えて、私たちの立っている大地は、 愛の土壌に変化しているのです。 私たちは忘れていきます。 攻撃や剥奪や危険や喪失や損失・・・・ 危険のすべて・・・・恐れのすべてを・・・・ その先に何が待っているのかは、愛にまかせて、ただ安らいでいましょう。 ☆2… Pick