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第618号 2020/9/26

  ☆ ……………………………………………………………………………………… ☆ ☆     Let's go spiritual with your angels ☆ 第 618 号  2020/9/26     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪ 人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために ♪ ☆1 … 愛によってのみ …………………………………………………………… ☆ 私たちは、神聖さを、心から望んでいます。 この世界で、自分が神聖だなどと思えないほど混乱した心には、 その望みをなかなか認識することができませんが、 「自分が悪くない」ことは、確かに望んでいるという自覚は感じられるはずで、 それは最終的に、神聖さへとつながっています。 私たちは、「悪くない自分」でいることを望み、心がけ、 常に、自分をどうにかしようとしています。 私たちは、一生懸命に自分に取り組んで、思考と行動を、 自分の思うように整えようとしているのです。 しかし、混乱した私たちが、自分にしていることは、否定、脅し、抑圧といった、 愛でない方法ばかりです。 自分が愛である神と離れてしまったと信じている心には、そのような方法しか思いつかず、 気に入らない自分と戦って、勝利しようとして必死です。 「悪くない自分」とは、本来、当たり前のことです。 私たちは、「悪い自分」を信じたので、その自分をどうにかしようとしていますが、 「悪い自分」は実在していません。 それが実在すると信じている心が、そのような自分の幻覚を見せ、 それに打ち勝つ必要があると思い込ませているのです。 本来の自分に戻るとは、自分が愛であり、神聖であるという、自覚を取り戻すことです。 私たちは、愛である神に創造されたまま、変化したことはありません。 神の意志は私たちが完全であることを望んでおり、 その意志を変えられるものなどないからです。 「ならばなぜこのようなことが起こっているのか?」 そのように聞きたくなるかもしれませんが、 その問いは、エゴからのものであり、意味がありません。 エゴはそのようにして無意味な問いを投げかけることで、 自分の実在を証明しようとしているの

第617号 2020/9/19

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第617号 2020/9/19     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 判断 …………………………………………………………………………☆ この世界は、実在していません。 突拍子もないように思えるこの言葉を、私たちが拒絶せずにいられるのは、 それがどこかで、本当だと知っているからではないでしょうか。 幼い頃には、誰もが、この世界の実在について、疑問を感じたことがあるものですが、 いつのまにか、そのような疑問を忘れ、この世界から教えられたことがすべて真実だと、 信じ込んでいるのです。 この世界を、愛である神は創造していません。 もし、愛がこの世界を創造したのなら、愛は、愛ではないということになってしまいます。 すべてである神が創造していないものは、存在していないので、 この世界は、実在していないのです。 そして、この世界が実在していないからこそ、私たちは、無罪であり、 神に創造されたときのまま、純粋な愛の存在なのです。 しかし、この世界に入り込み、その実在を信じている私たちには、 何をどうすればいいか、わかりません。 私たちは、これまで、この世界の実在をだた信じて、疑うことはありませんでした。 だから、私たちには、この世界を超えたところまで導いてくれる導き手が必要です。 それが天使でも、ハイヤーセルフでも、キリストでも、ブッダでもいいのですが、 その存在は、愛である神からもたらされ、実在しないものと真に実在するものの間に立ち、 私たちに、真実を語ってくれる存在です。 そのような存在がいなければ、私たちは、自分で作り出したこの偽りから、 抜け出すことができません。 私たちが、日々、直面する出来事について、 どうすれば、それらを癒しの機会へと変えることができるのか、 聖なる存在たちだけが、私たちにそれを教えることができるのです。 だから私たちは、真に受容的になり、神聖な導きに耳を傾け、 自分の判断を脇に置いて、ゆだねることが必要です。 私たちは、自分でできるし、何をどうすればいいかわかっているつもりでい

第616号 2020/9/12

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第616号 2020/9/12     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆☆☆ 新アチューンメント「ドルフィン・ラブ」☆☆☆ (お知らせはメールの後ろで♪) ☆1… あなたは一人ではない ……………………………………………………☆ この世界で、一人、という言葉は、肉体的な状態を意味しています。 肉体で区切られた一個の心の状態を、一人と呼んでいるのです。 一人でいるとは、別の肉体とともにいないことであり、 一人ではないということは、別の肉体とともにいるということになります。 しかし、スピリチュアル的な意味においては、一人とは、 肉体の状態とは、何のかかわりもありません。 一人かどうかというのは、肉体によって区切られた心、独自の意思を持った心として、 自分を認識しているかどうか、ということだけにかかわります。 実際には、神と離れて存在できるものはないのですから、 心が単独で存在するというのは、ありえない状態です。 それは、単にそのように認識するという決断に過ぎないのですが、 すべてから離れて、個体であるという認識は、孤独と恐れだけを生み出します。 ですから、この世界的な意味で、一人でいるとき、私たちは孤独を感じますが、 実際には、誰かがいなくても、その孤独を癒すことができるのです。 私たちが、肉体を超えて、誰か ー スピリチュアルな兄弟と、 本来の状態として愛の中でつながるとき、私たちは、 自分が真に一人になることなどできず、誰にも拒絶されておらず、 お互いに何の差異もなく、愛し、愛されているとわかります。 そのようなつながりは、内側を癒すので、必要に応じて、 肉体を伴って、誰かが私たちを訪れてくれるのです。 肉体同士のかかわり合いに良いも悪いもなく、 真のつながり合いがなければ、真の満足を得られないというだけです。 一緒にいるときは、楽しくても、離れればすぐに寂しくなってしまう・・・・ そうではある必要はないのです。 私たちは、いつでも、どこでも、すべてのスピリチュアルな兄弟と つながることができます。

第615号 2020/9/5

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第615号 2020/9/5      ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆☆☆ メルマガ限定♪新アチューンメント「ドルフィン・ラブ」☆☆☆ (お知らせはメールの後ろで♪) ☆1… 私たちはエゴではない ……………………………………………………☆ この世界で、私たちは、自分自身を誤解しています。 自分が神から離れた存在だと思い込んだときに、エゴを作り出し、 それを自分だと思い込んでいるのです。 エゴとは、悪い考えをするものだと思われていますが、実際には、 個人的な考えは、すべてエゴによるものです。 だから、私たちは、自分の思考をうるさく感じたり、疎ましく感じたり、 なんとかしたいと思うのです。 私たちは、自分がエゴだと思っているから、エゴの思考が自分だと思っており、 さらに、その思考によって、自分を評価して、自分に罪悪感を抱いています。 そのような思考をどうにかするためには、思考に取り組むのではなく・・・・ (思考をなんとかしたいと思っているのも個人的な思考なので、 個人的な思考同士を対立させてもうまくいきません) 自分が本当は誰なのかを、思い出す必要があります。 愛である神は、ひとつの心しか創造していません。 本来、そこに個人的な考えが入り込む余地はなく、ひとつなのですから、 言語は不要であり、静かで、穏やかな状態が永続していきます。 私たちは、あまりにもエゴと同化してしまい、エゴと自分が見分けられなくなっています。 ですから、私たちには、エゴと同化した心に影響されていないところからもたらされる、 神聖な助けが必要なのです。 だからこそ、エゴは、神や、癒しを拒絶しますが、私たちの真の心は、 それが私たちの自覚に保たれていなくても、愛とともにあり、真実を知っています。 そして、私たちは、自覚していなくても、真実 ー 愛の方へとひきつけられて、 真の幸せを求め、癒しの道を歩むのです。 エゴの思考がなければ、心の中に、清らかなせせらぎが流れているような、 心地よさが感じられます。 自分の美しさや、純粋さに疑問