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第692号 2022/2/26

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第692号 2022/2/26     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 一体性のギフト ……………………………………………………………☆ 愛に違いはありません。 どちらの愛が優れているとか、純粋だとか、大きいとか、そのような区別は、 愛の中にはありえず、差異は無意味です。 違いがないと困るのは自我であり、違いがあることを前提に、 比較し、優劣をつけ、優劣によって自分の価値を測っているのです。 この世界は自我の世界であり、神の創造物ではありません。 愛である神は、私たちを愛の一体性の自覚の中に帰ってくるようにと、 呼びかけているのです。 ですから、私たちが愛の道を歩き、霊的に成長するにつれ、 差異に価値を見出さなくなっていきます。 そして、私たちが愛のまなざしを通して見るとき、すべてを、 神とも、自分自身とも同じ、清らかなものとして認識するのです。 私たちは、あまりにも自分が穢れていると信じ込んできたので、 自分と同じだけ穢れていると信じてきた自分でない誰かや何かの中に、 清らかさを見ることで、やっと、自分の清らかさを真実だと認識できるようになります。 自我はそのような霊的成長のあらゆるプロセスに、自分の解釈を持ち込み、 自分が清らかだと認識できるようになると、今度は、それは自分だけのものだと 信じ込もうとします。 自我から見れば、清らかさが認識できるようになったのは、「自分の努力の賜物」であり、 少なくとも、自分は、他者よりも霊的に優れている、などと言い張るのです。 愛へと戻る道の上で、差異に価値を見出すことには、意味がありません。 せいぜい、差異を見出そうとしている自我の残骸を癒す機会になるだけのことです。 愛への道の上で、一度獲得されたものは、常に、意識下で働いています。 神によって与えられた愛のまなざしを、私たちが一度受け取ったなら、 私たちの肉体の目が差異を見ていたとしても、私たちの真のまなざしは、常に、 清らかな一体性を認識しています。 自分以外の人に対する緊張感が薄れたり、気安く語り

第691号 2022/2/19

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第691号 2022/2/19     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 内側に見るもの ……………………………………………………………☆ 私たちが、自分の外側に見ているものはすべて、 私たちが自分の内側に見ている(と思っている)ものの反映です。 私たちが、この世界の中に見る不平等や、貧しさ、ずるさ、不幸と悪のすべてを、 私たちは、自分の内側に見てきたのです。 逆に、この世界の中に見る美しさや優しさ、幸福と善のすべては、 私たちが真の自分を忘れていないということの証拠でもあるかもしれません。 何れにしても、私たちは、自分の外側にあるものは、 自分とは何の関係もないと信じています。 何らかの悪を目にしても、自分とは関係のない誰かの属性であり、 美しさもまた、自分とは離れたところにある、何かの属性でしかないと思っています。 それは、自分の内側に見た悪を見ないようにするために、 私たちが考えついたことに他なりません。 しかし、私たちは、それによって、神の助けである癒しを遠ざけてしまいました。 外側に見るものは、私たちの内側の反映なのですから、 癒しは、私たちの内側に必要なのであり、それ以外の場所では、 本当は、何もしなくてもいいのです。 私たちは、誤ったものを見ているのですから、私たちが普段見ていると思っている視覚は、 間違いを見るためのものだということになります。 私たちを幸せにするための愛の導きは、私たちの視覚が誤りでしかないことを教え、 愛に基づいて見ることのできる新しい視覚を与えてくれます。 その視覚によって、内側を見るとき、私たちは、 自分の内側に、清らかさだけを見るようになります。 私たちを誘惑する悪魔も、裁き罰する偽りの神も、その視覚には見えないのです。 そして、それらの脅しや罰を宣告する声も、だんだんと聞こえなくなっていきます。 偽りの視覚が悪魔を見ていたその場所に、愛の視覚は、清らかな光が瞬くのを見ます。 私たちは、それを認識することで、その清らかな光が真実であるとわかるのです。 言葉

第690号 2022/2/12

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第690号 2022/2/12     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 愛と自由 ……………………………………………………………………☆ 真の自分を認識することは、神と一体化することと同じです。 私たちは、神とひとつの思考であり、それ以外のものは、持っていません。 私たちがこの世界にいると信じているときも、私たちのすべての行動、 すべての言葉、すべての考えを、神に導いてもらうことができます。 自我は、神とともに思考することにより、自分の自由が奪われると 言い張ってきましたが、神にすべてをゆだねてみれば、 本当はそこに自由があることがわかります。 神に対抗して、心の中に騒音を取り入れ、「神とは異なる自分の望み」があると、 自我は私たちに教えてきました。 しかし、自我のそのような言い分を信じて得られたものは、 虚しさ、自己嫌悪、混乱、恐れしかありませんでした。 神は、私たちが、自分(自我)という盾を取り除いて、 神の愛を受け入れられるように、導いてきたのです。 神は、私たちが、自我を信じている度合いに応じて、少しずつ恐れを取り除き、 神が与える幸せを思い出させながら、どこまでも優しく、 私たちの中に神の記憶を取り戻させてくれてくれました。 私たちは、今では、すべてを神に先導してもらうことに、何の疑問も感じず、 むしろそれこそが自分の幸せであるとわかっています。 私たちは、自我の実在を信じ込み、神に対抗する意思があると思ってきましたが、 そのすべてが、空想でしかなく、実在しておらず、 真の自分に何の影響も与えていないことに気づいたところです。 自分が自我と一体化したことで、自分が悪いと信じてきた私たちは、 「悪い」と言う言葉も、その意味も、忘れ去る用意ができています。 神と自分の間に挟み込んできた、誤った考えや誤った自分のイメージを、 私たちは、すべて取り除くことができるのです。 そして、それは、私たちが自分ですることではもちろんなく・・・・ 神との一体性の中で、行われるべきことです。 私たちの清らか

第689号 2022/2/5

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第689号 2022/2/5      ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… すべてのものの中の愛 ……………………………………………………☆ この世界は、神が創造したものではなく、私たちの空想でしかありません。 その空想の中で、私たちが自分をどのように考えていようとも、 空想は空想でしかなく、私たちは、神とひとつのまま、変化したことはありません。 ですから、空想の中で、私たちがどのようなものを見、どのような体験をし、 それをどのように解釈したとしても、すべての物事の背後には、 神の愛が宿っています。 私たちの空想は、神の愛を覆い隠しているだけであり、神の愛は、消えることも、 変化することもないからです。 空想を実在のもののように見ることにしたのは、私たち自身に他ならず、 つまり、何をどのように見るかは、私たち自身の意図に委ねられています。 私たちは、あまりにも混乱して、この世界の実在を盲信してきたので、 誤りを見ていることをどこかで真実と感じながらも、どうしていいかわかりません。 ですから、私たちは、神に助けを求める必要があるのです。 神は、真に見ることのできる愛に属するまなざしを私たちに与え、 私たちの否定的な心を癒し、すべてをあるがままに見ることができるように、 私たちを導いてくれます。 私たちは、はじめ、瞑想の中で、愛のまなざしを体験するようになります。 この世界に対して目を閉じて、神が私たちに見せたいものを見たいと意図すれば、 神は、私たちの望みを叶えてくれます。 愛のまなざしの中では、すべてが清らかで、何の差異もなく、制限もなく、 優しく、穏やかです。 そこで私たちが見るのは、この世界で見るものとは真逆の私たちの真実の反映であり、 鏡のように映し出された自分自身の清らかさを認識することで、 私たちは、やっと、自分の清らかさを素直に受け入れることができるようになります。 そして、私たちがそのようなまなざしで見ることを体験すれば、目を開けているときも、 見るものすべての中に、その背後にある清ら