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第696号 2022/3/26

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第696号 2022/3/26     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 流れのままに ………………………………………………………………☆ スピリチュアルな成長は、段階的に進行していきます。 私たちは、真実を思い出す旅をしているようなものですが、 神の助けと真実を受け入れるためには、信頼と安心が育っていく必要があるからです。 失われたことのないものが失われたと信じている心に、 少しずつ、記憶が取り戻されていくにつれ、 恐れによって凝り固まっていた愛への防壁が消えていきます。 自我こそが自分だと信じていた心が、自我は自分ではないと気づき、 清らかな自らの本質を認識するに至り、それが今でも変わらずにあることを 思い出せるのです。 そして、自我に渡していたコントロールを、神と一体の清らかな心へと戻し、 再び、愛に強さが与えられます。 自我の言葉が、虚言だと認識されて退けられ、心は静けさを取り戻していきます。 私たちの本質の清らかな心とは、もちろん、神とひとつの愛そのものであり、 そこには、言語レベルの騒々しい思考はありません。 スピリチュアルに足を踏み入れた当初には、癒しとは、 問題に対してなされるものだと思われていました。 すなわち、自我が判断した自分の問題や悪い部分が、 良いものに置き換わることだと思われていたのです。 自我は維持されたまま、より良い自我に変わることができる、と信じられてきました。 自我は、愛への道を妨げないように、おとなしくなることが必要なだけで・・・・ だから、私たちは、自分だと思ってきたものを脇によけて、 私たちの清らかな本質が現れるがままにしていればいいだけです。 それは意識でどうこうするものではなく、できるはずもなく、 神にゆだねることで可能になります。 どの道を通って、どのような順番で、何がどうなればいいのか、 私たちは、ただ神にまかせて、流れのままに進めばいいだけなのです。 癒しとは、今では、自分という自覚が、自我から神との一体性に移ることであり、 心の基盤が、恐れから

第695号 2022/3/19

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第695号 2022/3/19     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 個を超越する心 ……………………………………………………………☆ スピリチュアルなことに興味がなく、何の知識もなくても、 私たちの心は、ふとした瞬間に誰かの心とつながり合うことがあります。 また、同様に、愛である神との一体性を感じることもあります。 例えば、誰かと一緒に素晴らしい景色を見ながら無言になる瞬間、 神社や仏閣で手を合わせて、心が静かになったとき、 夕焼けをただ見上げている一瞬・・・・ 目的意識や自己主張、自分の心の動きを言語化しようとする意図が静まったとき、 誰もが、別の心や神と、神聖さの中で、一体性を感じることができるのです。 しかし、自我は、それを特別性として意味づけをして、別のものに置き換えてしまいます。 例えば、心が繋がった体験をした誰かと自分が特別な関係であるとか、 自分が神聖で特別な体験をしたとか、だから自分に特別な能力があるとか、 自分が見たものが特別であるとことさらにアピールするとか・・・・ それらは、悪いことではありませんが、愛の体験は、自我の様々な欺瞞に覆い隠されて、 日常の中に紛れていきます。 しかし、それでも、真実を決して忘れたことのない私たちの心の潜在的なレベルでは、 神や自分自身の神聖さを思い出しているのです。 私たちの知らない間に、そのようにして、私たちが歩む道は整えられています。 やがて、潜在意識の中で、ある一定の記憶が戻ったときには、次の段階へと進み、 スピリチュアルな知識に触れたり、瞑想したり、ヒーリングやアチューンメントを したりされたりと、より愛へと近づいていくのです。 私たちは、無自覚なときも、神に導かれています。 今では、意識的に、神を求め、真実を思い出そうとしていますが、 それも、すべて神によって整えられた道なのです。 私たちには、神に従うか従わないかという選択肢があるように見えていますが、 実際には、神によって定められた計画に従っているだけです。 選択肢、つまり自我

第694号 2022/3/12

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第694号 2022/3/12     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… あるはずのないもの ………………………………………………………☆ 真に実在しているのは、神だけであり、つまり愛だけです。 私たちの側からこれを言い換えれば、神聖で清らかな神と一体の心だけが、 実在しているということです。 私たちは、自分の内側に、愛以外のものがあると信じており、 それを外側の世界に投影しています。 誤りの始まりは、愛以外のものがあると信じたことであり、 訂正されるべきは、その信念だけです。 私たちが見ていたり、体験していると信じている愛でないもののすべては、 妄想でしかありません。 神と神の子の一体性が存在する永遠の今この瞬間の中で、神の子は、 自分の心の中に、一瞬、愛でない何かを見たのかもしれません。 しかし、それは、それだけのことでよかったのです。 自分が愛でない何かを見たことを重要な誤りだと考え、 それを記憶したことで、過去を作り出し、 さらに、過去を消せない、変えられないものとして定義して、 妄想は膨れ上がっていきました。 愛の中にあるはずのないものが、あるものとして認識され、 それをどうにかするために、さらにあるはずのないものが空想されて、 ねずみ算式に、大きくなっていったのです。 例えば・・・・ 自分の中に嫉妬があると信じ、嫉妬する自分は悪だと判断し、 自分に罰を与えることを考え出し、自分が悪いという妄想に苛まれた心は、 嫉妬する自分の同類を求め、外側にそれを投影し、 作り出した嫉妬する自分でない誰かは、自分同様に悪なので、 それを否定し、攻撃しますが、攻撃する自分は悪であると再び判断され・・・・ 愛へと戻る道は、膨れ上がった幻影が、幻影でしかないと理解するためのものでした。 どれほど、真実味があり、恐れを喚起したとしても、それは妄想でしかないと理解しながら、 妄想を膨れ上がらせた過程を逆に辿り、妄想を取り消してきたのです。 今、私たちは、あるはずのないものをあると信じた、 神の子の誤った心を認識

第693号 2022/3/5

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第693号 2022/3/5      ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 心の変化 ……………………………………………………………………☆ 愛への道を歩むにつれ、癒しは深く静かに進行し、心の状態や感じ方が変化します。 心は静かになり、穏やかで、自分が安全であることや、 自分の価値についての疑問が消え去ります。 あえて言葉にするなら、大丈夫であるとか、自分に価値があるとか、 自分は悪くなく清らかであるとか、そんなことを常に感じていますが、 それが当然だという感覚もまた、ただ静かに心の中にあるような状態です。 以前に心の普通の状態だと感じていたときを思い出してみれば、 大丈夫というときほど、大丈夫とは思えておらず、 自分には価値があるとか、悪くないとか、言語化しているときには疑いがあり、 自分をただ単に説得し、思い込ませようとしていただけだったことがわかります。 そして、自分にとって当然だと感じることが変化してみれば、 説得や思い込みが何の役にも立たなかったことも明らかです。 それは自我のレベルであり、自分が危険にさらされており、 不安がっているのが当然だと感じている心の状態のときに、 言語を利用して、わずかに安心しているかのように感じさせ、 自我を維持する目的に利用されていました。 自我とは言語化された思考であると言うこともでき、常に騒々しく、 何かを考えることで、実在しているかのように見せかけてきたのです。 しかし、心に愛を受け入れ、自我が占めていた領域が、 愛によってだんだんと置き換えられていくにつれ、 愛にとって当然のことが、当然だと感じられるようになっていきます。 つまり、理由なく安心して、穏やかだという本来の状態に、 心が戻ることができるのです。 信頼は神へと戻され、神との一体性を感じている心が、すべての言動の原点となります。 そして、言葉ではないレベルで、自分がそのような状態になっていることを感じ、 さらなる安心へと移行し、よりすべてを神にあずけられるようになっていくのです。 理由なく安