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第709号 2022/6/25

☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第709号 2022/6/25     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 愛の中へ ……………………………………………………………………☆ 目を閉じて、静かに座り、ただ、神がやってくるのを待っていると、 やがて、光として、穏やかさとして、優しさとして、神が訪れたのを感じます。 しかし、私たちは、神を感じただけで満足する訳ではなく、 完全に神と一体になることを望んでいます。 そのはずなのに・・・・ それは恐ろしいことのように感じられ・・・・ 光と一体になろうとすればするほど、自分の心の中に、 それに対する抵抗が起こります。 神との一体性とは、愛の中へと消えていくようなものであり、 恐れそのものである自我は、自分が消えていくことを恐れ、 愛を恐れているのです。 愛だけが真に実在しており、自我は幻想なのですから、 真に自我が恐れているものとは、愛(神)に他なりません。 愛との一体性は、自我にとっては死のようなものなのです。 一方、この世界では、死は、すべての人に受け入れられているように見えます。 死を恐れて、それに抵抗していたとしても、 自分が死なないと思っている人はいないでしょう。 死は、誰にも必ず、最後にはやってくるものだと信じられています。 それは、単に肉体的なものを指すのではなく、愛に対抗して、 すべてが滅びるという恐れを世界に知らしめるための観念です。 言い換えるなら、死は、この世界を支配しているようなものです。 誰もが、自覚してはいなくても、そのゴールに向かって、歩んでいます。 それは選択の余地はなく、強制的に、歩まされる道です。 この世界は神が作ったものではなく、死も、神が創り出したものではありません。 この世界を支配する玉座には、死が君臨していますが、私たちは、 そこに愛を復帰させることを選びました。 私たちの歩む道は、死へと向かっているのではなく、愛へと向かっているのです。 最終的には、そのゴールは、死と同じように、この世界を手放すことです。 しかし、神は、一切強制することなく、私たち自

第708号 2022/6/18

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第708号 2022/6/18     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 統合 …………………………………………………………………………☆ 自分以外の誰かに対して、私たちの中に、批判や否定や嫌悪があるとき、 それは拒絶であり、分離です。 それはもちろん、愛とは無関係であるため、罪悪感を抱えることになります。 そのため、自我は、自分がそれを拒絶する正当な理由があるように見せかけます。 自分が拒絶した相手は、批判や否定や嫌悪を受けるのが当然だとして、 自分を正当化し、罪悪感を和らげようとするのです。 しかし、正当化されたそれは、正当であるならば自分自身にも向けられることになり、 自分が外側に向けた拒絶が自分に向けられるのを、恐れなければなりません。 もともと、外側に見える拒絶したいような誰かの特徴は、 自分自身の中で、拒絶されたものです。 私たちは、自分の中に、嫌悪するような何かを見て、 それを自分の中には存在しないものとして、拒絶します。 拒絶とは、実際には、潜在意識の中に隠すようなものであり、 潜在意識の中に隠されたものは、外側に投影されます。 それは、自分が嫌悪するような特徴を持った誰かとして、現れるのです。 その誰かは、影のように付きまとい、自分を不快にさせ・・・・ 無意識のレベルでは、その誰かは自分を受け入れるように強要しているように見え、 その人ではなく、自分自身の中に原因があることを 思い知らせようとしているようで、恐れの象徴となるのです。 私たちがもし、自分自身の内側に目を向け、その誰かに見ている嫌悪すべき特徴が 最初に自分の中で拒絶されたものだと理解し、愛の癒しに心を開いたなら、 その誰かは、恐れの象徴ではなくなります。 私たちは、自我がバラバラにした心を集めて、すべてを愛に手渡し、 それらの破片はそもそも自分自身ではなく、恐れるものでもなく、 拒絶することなどなかったのだと理解しなくてはいけません。 何が自分であるかに自我はこだわり、私たちは、混乱していますが、 自我が隠そうとして

第707号 2022/6/11

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第707号 2022/6/11     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 神の手の中に ………………………………………………………………☆ この世界は幻想であり、実在してません。 私たちの肉体も、この世界を見たり聞いたり触れたりしている目、耳、手、 どれも、偽りを実在しているかのように思わせるために使われています。 私たちは、心の中で、どうやらそれは真実らしいと感じ始めても、 どのようにすれば自分の作り出した偽りから逃れられるのか、わかりません。 すべてを手放せばいいに違いないと、私たちは考えますが、 それは、この世界に囚われた心にとって、大きな恐れを伴うのは当然です。 自我は、自暴自棄になったふりをして、どうにでもしてくれと言い張ったりしますが、 愛の癒しは、それそのものを恐れる場所に入っていくことはできません。 そのようにして自我は、愛が自分の望みを叶えてくれないと、自分に暗示をかけ、 愛への恐れを強化しようとします。 それが偽りであったとしても、この世界を体験している間は、 見たり、聞いたり、触れたりすることをいきなり手放すのは不可能です。 間違いなら取り去ったらいいでしょう、というのは、常に、 自我の短絡的で、性急な言い分でしかありません。 愛はそのような自我の言い分に沿うことはなく ー というよりもできず ー 優しく穏やかな癒しをもたらします。 完全に手放したいという意図を持てないとしても、 もし、私たちが誤りを神の手に預けるならば・・・・ 神はそれを必要な間、維持しながら、最終的なゴールまで導いてくれるでしょう。 私たちの目も、耳も、手も、ただ神に預ければ、 それはこれまで通り変わらずに働いているように見えながら、 愛によって癒しの手段として役立てられます。 自我は、神がすべてを奪うに違いないと信じて、神を拒絶してきました。 しかし、私たちは、愛である神の計画が、どこまでも優しいものだとわかっています。 目も、耳も、手も、私たちがいずれ手放さなければいけないと思うようなすべてを、 ただ

第706号 2022/6/4

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第706号 2022/6/4      ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 単一の癒し …………………………………………………………………☆ 愛は、どこまでもシンプルです。 複雑さは自我のものであり、愛には無関係です。 自我は、実在していないものを実在しているかに見せるために、 あらゆるものを対立させ、様々な問題を作り出し、それぞれの問題に対して、 それぞれ異なる解決策を提案します。 異なる病気があり、それぞれに効く薬が異なるように、自我によれば、 問題はそれぞれ個別の方法によってしか、解決できないということになるのです。 それに対して、愛は常に、一つの方法によって、一つの解決をもたらします。 それは、問題は実在しておらず、愛の光の中で消えていくというものです。 問題を作り出している私たちの心の中の自我に光をあてることで、 それは消えていきます。 最初に心の中で、誤りに光が当てられ、それが誤りだと認識されて、手放され、 それが投影していた外側の問題が問題でなくなるのです。 ただ単に問題として認識されなくなったり、何らかの解決策がもたらされたり、 外側の状況がどのように変わるかは異なっていたとしても、愛は常に、 同じメッセージを私たちに届けているのです。 私たちは、異なる自我の主張に、愛の単一の癒しを適用し、 すべての問題を手放すことができます。 それは最終的に自我から解放されるということであり、もはや問題が生まれることはなく、 ゆえに、解決策も必要なくなる状態です。 自我は、表面的に問題を解決させるように見せながら、問題が起こりうる状態を 維持しています。 それに対して、愛の癒しはシンプルでありながら、完全な解決であり、 確実な効果があります。 私たちは、すでに愛を選んでおり、愛によって、すべてが解決されることを望んでいます。 光の中で、自我はだんだんと小さくなっており、やがて完全に消え去るでしょう。 自我から解放されることによって、私たちは自由と喜びを取り戻すことができるのです。 ☆2… Pick