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第627号 2020/11/28

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第627号 2020/11/28    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… エゴと自分を区別する ……………………………………………………☆ 私たちの思考は、途切れることがなく、常に何かを考えています。 それは、自発的な場合も、勝手に起こる場合もありますが、いずれにしても、 自分で止めることはできないように思えます。 そして、私たちは、そのような思考こそが自分自身だと信じてきました。 誰かを嫌いだと思ったり、嫉妬したり、自分を責めたり、 自分は、考えたくないこと、考えるべきではないことを考えていると思い、 自分を好きになることができずにいました。 「正しい自分」「良い自分」でいるために、思考をどうにかしようと、 考えないようにしたり、説得したり、考えていないふりをしたりと、 自分自身と格闘してもきました。 好きになれない思考とは、神と離れている思考に他なりません。 とはいえ、良いと判断されるような思考が必ずしも、 神とひとつの思考という訳でもありません。 神とひとつの思考とは、言語を超えたものであり、 この世界的な解釈の範囲外のものです。 言語として感じられる思考はほとんど、神と離れた思考であり、 「正しい自分」「良い自分」の証明として、利用されているだけなのです。 偽善という言葉は、私たちがどこかで、表面的な思考が偽りだと、 感じていることを示しています。 思考は、私たちではありません。 それは私たちの内側に存在しているように見え、私たちを表しているように見えますが、 真の私たち ー 愛とは何のかかわりもないものです。 言語レベルの思考は、エゴによるものですが、私たちは、思考しなければ、 自分が自分でなくなってしまうような、自分が消えてしまうような恐れを感じます。 その恐れも実際には、エゴのものでしかなく、エゴを自分だと誤解することで、 エゴの恐れを自分の恐れとして感じているだけなのです。 エゴは、神から離れており、それは不可能なので、実在していません。 実在しないものを実在しているように見せかけ

第626号 2020/11/21

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第626号 2020/11/21    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆☆☆ ユニコーン、ドルフィン 対面アチューンメントも始めます ☆☆☆ (お知らせはメールの後ろで♪) ☆1… 愛の奇跡 ……………………………………………………………………☆ 私たちは、この世界で様々な気がかりや、心配、問題を体験するように見えています。 それは、自分の意思とはかかわりなく、外側の状況によって、勝手にやってきて、 自分を苦しめるように思えます。 しかし、私たちがこの世界で体験することはすべて、エゴの選択であり、 エゴがエゴとして、自分を維持するために、作り出しているのです。 何らかの問題が起こったとき、その問題に取り組み、解決することが、 この世界では常識とされています。 実際にそれは、特定の問題を解決するように見え、有効に働いているように思われています。 でも、それは、すべてエゴの範疇であり、エゴは、また次の問題を作り出し、 それを解決することを繰り返し続けるのです。 私たちが、愛に戻る道を選ぶとき、エゴではなく、愛によって、 すべての問題を解決することができます。 この世界の事象に、愛が介入するときには、 問題を別の場所に移すようなエゴの解決とは異なり、 真の原因がある場所 ー エゴが占めている心の領域を癒すので、 同じことは繰り返されなくなっていきます。 愛の介入によって、問題だと思っていたものが、自然に解消されたり、 気にならなくなったり、思いがけない展開によって、解決されたりするでしょう。 私たちは、それを奇跡だと感じます。 エゴにとって、常識に外れのように見える奇跡は、愛にとっては、常識です。 奇跡は、特別なことなどではなく、日常的に、すべてのことに、 当たり前に起こるのです。 私たちが、奇跡だけを求めるなら・・・・ それは、自然に起こり続けます。 どんな些細なことも、私たちは、愛の奇跡を求めることができます。 というよりもむしろ、愛に戻る道では、すべてを奇跡に解決してもらうことが必要であり、 また、愛

第625号 2020/11/14

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第625号 2020/11/14    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 意味を与えるのは …………………………………………………………☆ 私たちは、神とひとつの心であり、神とのコミュニケーションには、 なんの伝達手段も必要ありません。 言葉とは、神が作り出したものではないのです。 しかし、私たちが神へと戻るために、神は私たちが作り出した(と思っている)ものを、 癒しの手段として置き換え、利用します。 それでも、本来非言語のものを、言語として完璧に表すのは不可能です。 言語は、内なる体験を促すための補助的なものでしかなく、 言葉にならない感覚を上回るものではありません。 エゴは、神から与えられた言葉ですら、自分の理解の範疇で解釈をしようとします。 そして、まったく違った意味を与えて、そのことで満足し、 わかったつもりになるのです。 エゴにとって理解不可能なことに、自ら意味を与えるのは、 自分の安心と安全のために役立ちます。 エゴはすべてを捻じ曲げて、自分の都合よく解釈し、見たいものだけを見ることで、 自分の実在を証明しているのです。 私たちの内側に目を向ければ、そのようなエゴの動きがあることに、すぐに気づきます。 「これはどういうことだろう」「こうに違いない」 「この人はどういう人だろう」「こんな感じがする」 「これはどういう意味だろう」「きっとこのような意味がある」 そんな思考パターンが繰り返されているのです。 それは、あまりにもパターン化され、瞬間的に行われて、気づかない場合もあります。 しかし、エゴの意味づけは、すべて誤りでしかなく、つじつまが合わないので、 複雑怪奇なものとなり、混乱しています。 様々なパターンを、知識として溜め込む必要があり、それらを抱えていなければならず、 そのために、エゴは膨れ上がり、手に負えないもののように思われてきたのです。 私たちが神とともに歩んできたのは、それとは逆の道でした。 エゴが溜め込んできた知識、記憶を手放し、思考をシンプルにし、 エゴが占めていた場所