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第653号 2021/5/29

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第653号 2021/5/29     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 選択可能な自分 ……………………………………………………………☆ 自分とは、一個の肉体であり、心であると、私たちは認識してきました。 心と肉体は関連付けられており、それぞれの肉体にそれぞれの心があるとされ、 自分とは、その孤立して思考する個体だと信じています。 自分の心がいかに支離滅裂で、コロコロ意志が変化し、勝手な思考が飛び交っていても、 自分とは一つであると思い込んできたのです。 自分の心に少し敏感になってみれば、まるで、複数の人が心の中で、 好き勝手にしゃべっているような状態であることに気づきます。 エゴとは、そのようなもので、バラバラの部品がバラバラに動いているのです。 私たちは、そのバラバラの部品を自分だと信じているだけで、 本当は、そのどれも自分ではありません。 癒しの過程においては、それぞれの部品を癒すことで、エゴを小さくし、 また、扱いやすく、自分にとって好ましいように変化させる時期があります。 しかし、その時期を超えれば、どれほど癒したとしてもエゴはエゴであり、 真の自分とは違うという認識に至ることになります。 インナーチャイルドも、過去世も、トラウマも、どれもエゴの内部の話であり、 どれほど癒してもきりがない・・・・そう感じたとき、私たちは、 次のステップへと進むのです。 真実の自分とエゴ(自我)を区別し、私たちは、真実を真実とすることができます。 本来真実は一つであり揺るぎないものですが、エゴによって混乱した心には、 自分が、まるで選択可能なように見えます。 エゴは、どの部品を自分だと思っても自分は脅かされないと知っており、 心が混乱しているのは好都合です。 しかし、真実とエゴの選択になると、エゴは消え去ることになるので、恐れます。 愛か恐れかのという容易なはずの選択が、怖いものに感じられるのは、 単にエゴの恐れであり、私たちの真実とはなんの関係もありません。 私たちが、これまで自分だと認識してきた様々

第652号 2021/5/22

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第652号 2021/5/22     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 対立の終わり ………………………………………………………………☆ この世界は実在していませんが、実在していないものを実在して見せるために、 あらゆるものが対立しています。 対立によって、それぞれが押し合うような力動を生みだし、 そこにないものをあるように感じさせることができます。 陰と陽、昼と夜、男と女、というように、対になっていることで、 対立が生まれ、存在しているように思われているのです。 そのような対立の源は、私たちの心の中にあります。 私たちは、心を顕在意識の部分と潜在意識の部分に分け、対立させています。 潜在意識の部分には、自分にとって都合の悪い、いわゆる悪を隠していますが、 それは世界へと投影されています。 だから、私たちは、世界との一体感が持てず、意識的にはわからなくても、 世界と対立しているのです。 そして、世界は自分と無関係に存在すると信じることで、 顕在意識の部分は、自分が善であると思い、安心します。 理解不能な人が周りにいるとか、世界のどこかで酷い不幸が起こるとか、 善の部分は、それに憤ったり悲しんだりしますが、そのすぐ下では、 世界と自分が無関係であることを証明するために、 それを利用しています。 だから、自分は善であると言いたいけれど、いつも、自信が持てず、 不安定で、ちょっとしたことで自分を責めずにはいられません。 不幸の源は、自分の中にあります。 私たちは、自分を責めている場合ではなく、自分で作り出した対立に目を向け、 その対立を終わらせるように、愛である神にお願いしなければいけません。 神は、私たちの完璧さを知っているので、ただ、私たちの求めに応じてくれるだけです。 (もし、神が積極的に私たちを癒そうとするなら、 神が私たちを完璧だと認識していないということになります。) だから、私たちが気づいていないことは、癒しから除外され、 望む変化が訪れないように感じられたりするのです。 私たちが、神の

第651号 2021/5/15

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第651号 2021/5/15     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 愛の中で ……………………………………………………………………☆ 私たちが世界をどのように認識していたとしても、 神の愛はすべてを包み込んでいます。 私たちは、世界を神不在の場所として作り出し、 それを経験しているように思い込んでいます。 それでも、私たちがそれを望めば、すべての場所で愛を見ることができるのです。 世界の中に見えるあらゆる物質は、愛を覆い隠すために描かれた絵のようなもので、 目に見えている物質を超えて見る意図を持てば、 私たちは、どのようなものの中にも宿っている愛に至ることができます。 それは、私たちの本質が愛でしかなく、どのような空想をしても、 愛でないものにはなれないからです。 私たちが、無意識に、どれほど、愛の不在を証明しようとしても、 愛を消すことはできません。 それは、私たちに神を打ち負かすことができないということであり、 自分を消し去ることはできないということでもあります。 エゴは、愛を恐れ、真実である愛の光が見えないように、様々な絵を描いて、 愛を覆い隠してきました。 しかしそれでも、偽りは偽りでしかなく、私たちが真実を求めるときには、 それは消えていくしかありません。 私たちが、すべてを超えて、愛に目を向けるとき、そこに描かれていたエゴの幻は、 ただ消えていくのです。 だから、私たちにとって、愛がすべての答えであり、 私たちの安全も愛によって保証され、私たちは自由になることができます。 私たちは、肉体の目によって、この世界を見ていると信じていますが・・・・ これまでとは異なった見方で、愛だけを見ることができます。 一体、何をどうしたら、そのようなことができるのか・・・・ 私たちにはわかりませんが・・・・ どんなときも、私たちは、愛である神に助けを求めることができます。 神の導く道は、不可能に思えるすべてを超え、私たちを幸せにしてくれます。 愛の眼差しによって、愛だけを見ることができるように、お

第650号 2021/5/8

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第650号 2021/5/8      ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 清らかな思考 ………………………………………………………………☆ 私たちは、自分が清らかであることを望んでいます。 それは、神に創造された真の自分の属性であり、今では、 自分から失われたと信じられています。 だからこそ、私たちは、清らかさを渇望し、そうでない自分を責め続けるのでしょう。 清らかさを求め続ける私たちは、精神的、肉体的、環境的に、 自分のきれいさを証明しようとしますが、追求していけば、 結局のところ、自分が清らかかどうかという判断は、 思考のレベルでされているということに気づきます。 この世界では、思考こそが自分自身であると信じられています。 しかし、思考は、勝手に現れては消え、自分の思う通りにならないものに見えます。 誰かに批判的になったり、嫌悪したり、妬んだりという、ネガティブな思考は、 瞬間的に、自動的に、頭の中をテロップのように流れていき、 清らかでいようとすれば、その思考をどうにかするしかないということになります。 でも、思考をどうにかしようとすればするほど、 それはどうにもならないということもわかります。 そして、私たちは、自分とは醜いものだと受け入れるしかないと考えるようになるのです。 私たちがどうにかしたいと思うようなネガティブな思考だけでなく、 良いと思われるような思考も、基本的にすべてエゴのものです。 エゴは、実在しておらず、だからこそ、実在しているように見せかけるために、 いつも何かを言い続けていなくてはいけません。 頭を空っぽにするのが、難しいのはそのためです。 エゴが実在しないということは、唯一の実在である愛ではないということであり、 エゴの思考は、醜いものにならざるをえません。 私たちは、神に創造されたときから、変化することはなく、変化することもできず、 変化したこともありません。 私たちは、今も清らかであり、偽りを認識して、 誤った判断を下しているというだけのことなのです。 愛とひと