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第736号 2022/12/30 「自我との別れ」

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第736号 2022/12/30   ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 自我との別れ ………………………………………………………………☆ 自分を不幸にしているのが何なのか、注意深く気をつけて見ていけば、 「自分という意識そのもの」だという理解に至ります。 それが愛への道の上で通過すべき地点なのか、ゴールなのかはわからなくても、 私たちは、ただ、先へと進みたいという内面からの声に従うでしょう。 瞑想的になり、愛に包まれていると感じるとき、 どれほど愛と調和しているかに意識を向け・・・・ 愛のハーモニーの中で、同じ周波数を奏でているかどうか・・・・ それを波動と呼ぶなら、愛の波動にすべてをゆだね、 心のどの部分も完全に同じ周波数で振動しているかどうか・・・・ 自分に正直になれば、自分だと認識している心の部分部分が、 愛とは異なっており、不調和だと感じられるでしょう。 そして、今では私たちは、その不調和の部分をただ愛へとゆだねれば、 たとえようもなく幸せになれるとわかっています。 心のある場所では、愛への不信を訴え、別の場所では、自分とは誰か、 何を成してきたか、その成果を訴え、別の場所では、 愛の癒しへの恐れを訴えているかもしれません。 私たちは、ただ、その場所を認識し、愛である神に向かって、 調和の中へと迎え入れてもらうようお願いするだけでいいのです。 私たちは、「自分」にこだわってきました。 例えば、部屋をきれいに保っていないと気が済まないとか、 例えば、これでなければいけない調味料とか、 例えば、花や海や特定の場所がお気に入りだとか、 「自分」とは、そのようなこだわりの寄せ集めのようです。 そして、自分ではない誰かに、自分の特徴として、 部屋がきれいでないと嫌だと説明したり、 片付いてない誰かの部屋を訪問して、落ち着かないと感じたり、 自分の部屋を掃除し、片付けて、満足したりして、 他人といるときも自分だけのときも、作り上げた自分を継続し続けています。 今では、私たちは、片付いていない誰かの部屋

第735号 2022/12/24 「対立の終わり」

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第735号 2022/12/24   ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 対立の終わり ………………………………………………………………☆ 実在していないものを実在しているかに見せるためには、対立が有効です。 愛は、全一であり、その内部で対立はあり得ませんが、誤りを真実だと信じる心は、 自らを愛ではないと言い張る幻想の中で、すべてを対立させているのです。 この世界の中では、すべてが対立しています。 個である私たちの認識は、幸せになりたいと思っていても、 世界のあらゆる情勢や、周囲の環境などによってままならないことばかりです。 個は脆弱で容易に傷つけられ、外側には脅威が見えるので、 自らを必死に守らなければいけませんが、その防衛によって守られているのは、 それが実在しているかに見せかけている対立そのものであり、不幸と恐れです。 私たちは、この世界において、良いか悪いか、正しいか正しくないかにこだわりますが、 手放すべきなのは、その両方であり、それにこだわる心は癒やされるべきものです。 自分が何をするかということから手を放し、判断からも手を放し、コントロールも手放して、 ただ、愛が自らを通して働くことを許せば、それが、どれほど、 自分自身とすべての人に有益なことかがわかるはずです。 それは、自分だと思ってきた自分(自我)のすべてを手放すようで、恐れを感じるでしょう。 しかし、恐れを感じているのは、自我であり、愛の本質とは無関係です。 私たちは、今では、移り変わる感情や、恐れによって締め上げられるような感覚が、 自分のものではないとわかっています。 かつて、愛があったところに、神の子の代わりに置かれた自我と、 私たちの本質が再び入れ替わろうとしているのです。 愛のまなざしを通して、自我の世界を眺めれば、その虚構のシステムが 何ももたらさないことがわかるでしょう。 私たちは、愛として復帰しようとしているところです。 そして、世界に幸せをもたらすことができます。 ☆2… Pickupひとことガイダンス ………

第734号 2022/12/17 「個から全へ」

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第734号 2022/12/17   ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 個から全へ …………………………………………………………………☆ 違いは、自我にとって、とても大切なものです。 自我は、自分を神から切り離された「個」であると見なし、 自分は神とは異なるものだと主張します。 そして、すべてが切り離され、すべてが異なっている世界を作り出したのです。 その世界の中では、違うことが素晴らしいとされ、 世界にとって有用な違い(個性)を持てば、 自分が「個」として必要とされ、認められると信じられています。 そこには、優劣があり、競争があり、自分の価値は世界の尺度によって決定されるので、 自分に価値があるかどうか、思い悩むことになります。 しかもその世界の尺度はバラバラで、自分が価値があると思ったものを認められる環境で 安心できたとしても、別の環境ではまるで価値がないとされる場合もあります。 誰もが、妬みを自らの内に好んで感じたいはずはありませんが、 様々な尺度と異なる環境の中で、比較から逃れることはできません。 妬みはネガティブな感情に他ならず、それを抱くことには罪悪感があります。 私たちにできるのは、せいぜい、妬みや嫉妬が自分を高めるエネルギーとして 役立つと思い込むことによって、罪悪感を紛らわせることくらいです。 この世界が違いによってバランスされ、うまく回っているように見え、 違い(個性)が必須のように思えるのは、それが自我の支配する世界だからです。 少しでも自分に正直であれば、自らの持つ違い(個性)によって 十分な恩恵を得ているように見えても、その違いによって得たもので、 自分が決して幸せになっていないことがわかるはずです。 愛は、すべてにすべてを与えます。 愛の中に違いはないのです。 肉体の目は、自我の目であり、違いを認識するためのものでしょう。 しかし、私たちは、愛のまなざしを与えられています。 そのまなざしは、私たちが愛である神に求め、与えられたものであり、 今も、肉体の目の認識と同時に、

第733号 2022/12/10 「物質を超えて」

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第733号 2022/12/10   ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆☆☆ 東京での対面セッションは12月12日(月)まで ☆☆☆ ☆1… 物質を超えて ………………………………………………………………☆ 愛だけが実在であり、それ以外は幻想にすぎません。 私たちはこの世界を、実体があるかのように体験してきましたが、 それらはすべて自我による偽りです。 例えば、肉体の一部をどこかにぶつければ痛い、というのは、 この世界の絶対的な事実のように見えますが、その体験は、肉体が存在し、 それが外側の何かによって傷つき得るという信念を強化するためのものです。 自らが作り出し、自ら騙されることを選んだその法則によって、 私たちは、痛みを恐れ、肉体を守らなければいけないと考えますが、 実際には、切り離された個体である自分という認識を、 一体性の自覚から守っているのです。 私たちが一体性の自覚を取り戻していく過程において、肉体の苦痛は、 自我の抵抗として有効に働く場合があります。 私たちが肉体の法則を信じている程度に応じて、その抵抗は有効に見えますが、 一体性への希求が大きくなるにつれ、肉体の重要度が減るに従って、 その効果も小さくなっていきます。 神が与えようとしている完全な幸せには、もちろん、 肉体的な苦痛からの解放も含まれています。 私たちの一体性は、肉体を超えたものです。 肉体がまだ認識されていても、私たちは、肉体という境界に左右されることなく、 一体性の自覚を取り戻すことができます。 そのレベルでは、すべてのものは愛の中で一体であり、なんの違いもありません。 この世界で違いに価値を見出し、その優劣に振り回されていた心は、 一体性の中で、比較と対立と争いから解放され、自由になります。 それは、理解ではなく、体験であり、その体験によってもたらされる 圧倒的な自由と平和の感覚は、私たちを真実へと目覚めさせてくれるのです。 私たちの心は、一体性を求めています。 そして、それは、すでに与えられ、ここにあるのです。 ☆2

第732号 2022/12/03 「世界の救済のために」

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第732号 2022/12/03    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆☆☆ 東京での対面セッションは12月12日(月)まで ☆☆☆ ☆1… 世界の救済のために ………………………………………………………☆ この世界は、私たちの内面の投影です。 私たちの内面とは、私たちの正体、というような意味ではなく、 内側で起きていること、とか、内面にあると信じていることです。 私たちは、自分は神から離れたと考えて、愛でないものに成り果てたと思い込み、 邪悪で、醜悪な自分像を見たと信じたのです。 そして、その自分像からさらに離れて、表面的な意識としての自分を作り出しました。 私たちが自分だと信じているものは、肉体に関連付けられたわずかな意識の領域であり、 それによって、今でも自分の中にあると信じている、邪悪で醜悪な自分を認識から追い出し、 封じているのです。 世界は、私たちの自己認識の範囲外にある、邪悪で醜悪な自分の投影です。 私たちは、自分を世界の被害者だと認識することで、 自分が見ないようにした自分とは、無関係だと思い込んでいます。 というよりもむしろ、自分が見ないようにしている自分(の正体)と自分が無関係であることを 自分に信じさせるために、世界とその被害者である自分という状況を利用しているのです。 愛である神との一体性を取り戻すためには、自己認識の範囲内にある自分だけではなく、 自分が見ないようにし、切り捨てたいと考えている自分を、除外することはできません。 私たちがどれほど見ないようにし、自分とは別物だと言い張っても、 心を分断することはできず、自分だと認識している領域も、 邪悪だとして隠している領域も、ひと続きのものなのです。 「世界とは自分と無関係に存在しているものである」とするなら、 愛への道は、自分だけがどうにかなればいいもののように思えます。 私たちは、この世界の中で、そこでの体験が苦痛ばかりだと感じ、世界を憎み、 死を望むように、神のもとへ戻りたいと考えることがあります。 しかし、何かを切り捨