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第640号 2021/2/27

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第640号 2021/2/27     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆☆☆ 「ソウルメイト・レイキ」キャンペーンを始めました ☆☆☆ (お知らせはメールの後ろで♪) ☆1… ひとつのこころ ……………………………………………………………☆ 愛がひとつのものであるように、心もひとつです。 私たちが、神とひとつであるということは、ひとつの愛、ひとつの心だということなのです。 神だけが実在しており、神に外側はありませんから、神と離れることも不可能なら、 神と異なることも不可能です。 神の創造とは、神の内側で起こるのであり、だから、神によって創造されたものには、 神のすべてが与えられ、変化することはありえません。 このことをよく考えてみるなら、私たちは、神と離れて何かを為すことはできず、 神と離れた思考を持つこともなく、神と離れたものを作り出すこともできない、 ということになります。 私たちの罪の意識の源は、自分が神と異なるもの ー 悪になった、という信念ですが、 神と離れることができないとすれば、それは単なる思い込みでしかありません。 私たちは、自覚する自分の思考が好きではありません。 不満、妬み、批判、比較、好き嫌いなど・・・・ そのような思考は、勝手に起こり、制御不能のように思えます。 そして、そのような思考が自分だと思っているので、自分を愛することができないのです。 しかし、私たちが「自分が考えている」と思っていることが、すべて、 実際には、実在していないとしたらどうでしょう。 私たちは、神から離れて何かをすることができると信じたので、 自分から離れた意図(つまり自分の意図によるものでない勝手な思考)を、 認識することになったのかもしれません。 神の中で、神の意図と異なる意図を持った自分の中に、 自分には制御不能の意図があるように思えている・・・・ 「ないものがどうして認識できるのか」と、私たちは聞きたくなりますが、 その問いは、エゴが発しているものです。 神はエゴのその問いに、エゴの求めるような答

第639号 2021/2/20

☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第639号 2021/2/20     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 世界の目的 …………………………………………………………………☆ この世界は、神が創造したものではありません。 自分は肉体という脆弱な存在であり、時間とともに、あらゆる価値が失われ、 最後には、すべてが死によって奪い去られてしまうようなこの世界が、 もし、神によって創造されたものだとしたら、神は愛ではなく、 神が愛でないのなら、愛はどこにも存在しないということになります。 私たちは、この世界は神によって創造されたものだと信じてきたので、 神と愛について混乱し、神を恐れてきました。 神がこの世界を創造していないという真実は、暗闇に差し込んだ光のようなものであり、 私たちを正気に戻し、真の記憶を取り戻させてくれるものです。 それでも、私たちは、未だに、半信半疑のように、恐る恐る進んできました。 真実を知っている心と、エゴの部分に、心は分割されて、 その間で揺れ動いてきたようなものです。 私たちは、「罪を犯した自分」を閉じ込めるために、この世界という幻想を作り出しました。 そもそも、神に創造された私たちが「罪を犯す」ことなどできず、 変化することもありえないのですが、誤りを真実のごとくに信じ込み、 自分を罰することにしたのです。 ですから、私たちが設定した世界の目的は、 自分を閉じ込め、罰を与える、ということになります。 どんなに努力しても望みが叶わず、人生が思う通りにならず、 自分以外の誰かばかりが幸せに思えるのは、世界の目的が間違っているからです。 本来存在しないものの目的を変えるというのは、奇妙なことですが、 愛である神は、混乱した神の子が救われるように、 神の子がその存在を信じているものごとのすべてを、 癒しのために役立ててくれます。 自分が何をしているのか、私たちは、すでに理解しており、それでも、 信念を変えることができずにいるようなものですが・・・・ 私たちは、自分たちで設定した世界の目的を、神に差し出し、 愛と癒しのた

第638号 2021/2/13

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第638号 2021/2/13     ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 罪という観念 ………………………………………………………………☆ 私たちは、愛である神に創造された、美しく、純粋な愛の光であり、 神に創造されたものは、変化することなく永遠です。 神だけが真に実在し、愛がすべてであり、それ以外のものは実在していません。 これは、真実であり、私たちは、そのことをどこかで知っています。 だからこそ、その光に導かれて、ここまで歩いてきました。 それでも、私たちはいまだに、苦痛を感じ、不安に苛まれ、 真実を真実として、完全に認識することができないでいます。 この世界は、神が作ったものではなく、実在していません。 それは、私たち自身が、自分を苦しめるために作り出したものであり、 私たちの苦痛は、自分では気づいていなくても、すべて、 自分自身が自分に与えているものです。 なぜそのようなことをするのか・・・・ それは、私たちが、「自分に罪がある」と信じているからです。 私たちの信念によれば、罪とは、一度犯してしまえば、元には戻れないものであり、 罪によって、変化しないはずの神の創造物が、愛でないものになるとされています。 「私たちには、罪があるので、神のところには戻れない・・・・」 しかし、私たちは、自分の無罪と純粋さを渇望し、罪を償う方法を考え出しました。 それが、自らを苦痛によって罰するという方法であり、それゆえ、この世界は、 自分自身で作り出した「試練を与え、裁き、罰を与えるする神」に 支配されることになったのです。 それは、誤りの上に、誤りを重ねていくようなもので、 私たちは、何が真実か、すっかりわからなくなってしまいました。 私たちが、自分の無罪と純粋さを渇望するのは、それが真実であるからに他なりません。 ですから、苦痛の世界の中で、自分には、何かもっとすばらしいものがあるのではないか、 という探求を止めることができないのです。 その探求の中で、やがて、私たちは、この世界に答えがないことに気づき

第637号 2021/2/6

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第637号 2021/2/6      ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 愛が実在するなら …………………………………………………………☆ 何が自分か・・・・ この世界では、誰もが、自分が誰か、どのような存在なのかわかっていません。 しかし、それでも、真実を変えることはできません。 エゴは、自分が誰かわからず、自分には価値がなく、何か醜いものだと認識しています。 ですから、エゴは、その自分に価値を追加し、醜さを隠すものが必要だと、 自分を作り上げていくのです。 愛へ向かう道は、エゴが自分を作り上げるために進んできた方向を、逆に辿っていきます。 それは、エゴにとっては、価値がなく醜い自分を認識することのようで、 恐ろしい道を歩いているように感じられます。 実在していないエゴにとって、恐れることは、自分の存在を認識する方法の一つであり、 愛ではないエゴは恐れでできているようなものです。 エゴが、偽りの自分を作り上げようとするのも、恐れによるものであり、 恐れでありながら、恐れから逃げようとしています。 それは成功することなく、必ず失敗しますが、恐れている限り、 エゴは、存続しているように見せかけることができます。 結局のところ、私たちがこの世界で体験する様々な恐れの要因はすべて、 エゴが作り出したものなのです。 恐れとは、エゴと同様、愛の中に存在できないものであり、 恐れが実在するなら、愛は実在しないことになり、 愛が実在するなら、恐れは実在していません。 私たちは、今では、愛の実在を否定することはできません。 しかし、いまだに、恐れの実在も信じているようです。 それは、エゴ(恐れ)が自分だと信じている部分がある、ということでもあります。 私たちの幸せは、自分が誰であるか、ということにかかっているようです。 もっと言えば、それが唯一の問題であり、しかし、それは変わったことがないのですから、 すでに解決しているということになります。 私たちは、一体何を苦しんでいるのでしょう・・・・ とはいえ、私たちの意