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第718号 2022/08/27

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第718号 2022/08/27    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 知ること ……………………………………………………………………☆ 真実は、知ることが必要なだけです。 それはもちろん、思い出すことでもあります。 私たちは、本当は知っていることを、忘れているだけであり、 忘れることにしたのは、自分自身に他なりません。 それに対して、自我は、真実に成ろうとしてきました。 修行や試練や学びのすべては、自我が、悟りを開くためのものであり、 自我にとっての悟りとは、自分が神に認められることでもあります。 自我は、自分自身をどうにかして、神に近づけようとして、 「悪い」自分を痛めつけ、「悪い」部分を取り除くことで、 いつかは清らかになれると、信じてきたのです。 しかし、どこまでいっても自我は自我であり、自我が愛になることはできません。 自我は実在しておらず、自我の努力は、無に対する献身でしかなく、 その努力が身を結ぶことはないのです。 しかし、自分が自我ではないと知っている心は、 自我の努力に何かを費やそうとはしません。 自我は、修行によって、欲望を落とそうとしたかもしれませんが、 真実を知る心は、自我の欲望が無意味だと理解して手放すことができるのです。 それは、握っていた手を開くようなもので、そのために、苦痛も試練も試験もいりません。 私たちは、忘れたことを思い出したいと、神に助けを求めました。 神に心を開くために、多少、努力に見える何かが必要だったとしても、 それは、自我の信念とは無関係です。 私たちがどれだけできているか、神は試す必要などありません。 神に転嫁されてきた苦痛の源が、神のところにはないということも、 私たちが知るべきことでしょう。 それを学びと言ってもいいけれど・・・・ 自我によって作り出された言葉それぞれのイメージが、無意識の中で、 誤解のために利用されるのは避けたほうがいいでしょう。 自我は手放されるものであり、戦いの対象ではありません。 自我を認識している心に、愛の光が訪れて

第717号 2022/08/20

☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第717号 2022/08/20    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 一体性への献身 ……………………………………………………………☆ 一体性のためには、自我がバラバラにしたものをすべて集めて、 光の中に置かなくてはいけません。 そうすることで、私たちは、自分が神と一つであるという自覚を 取り戻すことができます。 私たちが、自分以外の誰かの中に何らかの問題を見るとき、 それをその人の問題であると考えます。 その人の問題は、その人に原因があり、その解決のためには、 その人が、考え方や振る舞いを変える必要があると思っています。 本当にそうでしょうか。 自我と一体性の観点から見れば、 「その人の問題を見ている自分は、それとは無関係である」ことは、 自我にとって、都合が良いように思えます。 自我は自分の内側に見た都合の悪いものを、外側に投影し、 自分ではないと言い張ることで、自分を守ることができると考えています。 それは、すべてをバラバラにし、細分化して、 それぞれの部分それぞれに、原因と結果があるという考えです。 そのようにして、自我は、自我の判断によれば悪いとされるものを、 自分と無関係だという位置に置くことで、分離を複雑にしてきたのです。 「問題を抱えた自分でない誰か」は、私たち自身が作り出したものに違いありません。 肉体の目では、それは、自分の外側に見えるかもしれませんが、 目を閉じてみれば、自分の心の中にイメージとして、存在していることがわかります。 問題を抱えた自分でない誰かを心の内側で認識すれば、嫌な気分になり、 拒絶したくなりますが、その自分自身の反応も癒すべきものです。 嫌悪と拒絶と、問題を抱えた自分でない誰かのイメージすべてに、 私たち自身の内側で光をあてるとき、すべてが癒されます。 実際に、誰かの問題が消えることもあるかもしれないし、そうでないかもしれませんが、 私たちの心の中から、それを問題視する気持ちは消えていくのです。 自分の問題だけでなく、他の誰かの問題も、愛の中では実在し

第716号 2022/08/13

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第716号 2022/08/13    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 自我を手放す ………………………………………………………………☆ 自我は、自分が変化(成長)できると信じています。 悟りとは、自我の成長の先にあるものだというのが、自我の信念です。 それは、修行や自己犠牲や試練を越えた先にある、自我の成長の頂点だとされています。 しかし、悟りとは、神との一体性を取り戻すことに他ならず、 そのためには、「自分は自我ではない」と知ることが重要です。 自我は、その信じるところによれば、何度も転生しながら、 神のところに戻ろうとしていますが、未だに達成されてはいません。 自我をどのように変化させたとしても、それは自我の内部のことであり、 神と一体の心は、自我とはまったく異なるものです。 自我は達成不可能な計画を立て、自分が神の元へと向かっていると信じているだけです。 自我にとっては、困難に見える「悟り = 神との一体性」は、本当は、 難しいものではありません。 今、私たちは、その道を歩んでおり、愛である神の導きによって、 神の元へとたどり着けるのだと感じることができています。 神の計画と導きだけが、私たちに真実をもたらすことができるのは明らかであり、 自我の信念が退けられた今、私たちは、神の声だけを聞いています。 私たちは、自我として活動するのではなく、愛が私たちを通して働くことを選び、 心を神へと明け渡しているのです。 どこに向かって、どのように進めばよいか、神が教えてくれます。 私たちは、神への道をすべて理解する必要はなく、 踏み出す一歩に与える力も、神からのものです。 自我は、誤りにしか過ぎません。 私たちは、愛の中で、握っていた手を開いて、すべてを愛にゆだねることができます。 *** 私たちは、目を開けていても閉じていても、愛の中にいます。 私たちが、自分だと信じて作り出した境界は、本当は、存在していません。 目を閉じ、自分だと感じているすべてから手を放しましょう。 眠るときには、意識を失い

第715号 2022/08/06

 ☆………………………………………………………………………………………☆ ☆    Let's go spiritual with your angels☆ 第715号 2022/08/06    ☆  ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 愛の訪れ ……………………………………………………………………☆ 私たちの心は、この世界の中で、都合の悪いことは忘れ、混乱に混乱を重ねてきました。 自分の認識するすべてに、自分の都合のいいように意味を与え、 さらにそれを解釈して、もはや、何が真の原因かを受け入れることも難しくなっていました。 混乱した私たちには、愛の正気に戻るために、自分でできることはありません。 だから、愛である神は、私たちが愛へと戻るための救いの手を与えてくれたのです。 もし、それがなければ、あまりにも混乱した心は、 そこから抜け出すことなどできなかったでしょう。 自分の混乱した認識と思い込みが正しいと言い張っていた心は、それでも、 愛の導きによって、だんだんと正気を取り戻すことができたのです。 愛は確実で、優しく、簡単に、真の幸せを私たちに示してくれました。 どんなに難しく思えることも、愛の奇跡によれば、簡単であることを教え、 私たちが、よりしっかりと愛の手を握っていられるようにしてくれたのです。 今、私たちは、愛だけを信頼することができています。 だから、静かにして、愛に対してただ受身になり、すべてをゆだねましょう。 その私たちの元に、愛である神が、やってきてくれます。 私たちは、神にどのようにして欲しいという言葉を持たないし、 特定の何かを除外して欲しいと願うこともありません。 両手を開き、心を開き、自らの内側を空にして、 何一つ大事にすることなく、愛のなすがままに・・・・ 愛は完璧にその仕事をしてくれます。 それは確実であり、完全になるまで、止まることはありません。 私たちは何もしなくていい・・・・ 自我にとってそれは恐ろしいことでしかありませんが、 私たちは、自分で何もしない代わりに、愛にすべてを明け渡し、 自分を通して、愛が働くことを選んでいます。 すべての問題は消え、気がかりは解消し、愛でないすべては忘れ去られるばかりです。 私たちの前にも