第723号 2022/10/01
☆………………………………………………………………………………………☆ ☆ Let's go spiritual with your angels☆ 第723号 2022/10/01 ☆ ☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆ ♪人生をエンジェリックでハッピーにしたい、あなたのために♪ ☆1… 差異を超えて ………………………………………………………………☆ 苦痛を感じているときに、死にたいとか、この世界はもう嫌だというような 気持ちになることがあります。 そして、神に対して、連れて行って欲しいと懇願したりもします。 しかし、それは、この世界を嫌悪し、捨てていこうとすることです。 嫌悪も排除を愛の属性ではないので、それを抱えたまま 愛の一体性へと戻ることはできません。 それでも、愛である神は、私たちの誤った望みから、 愛を求める清らかな意志を見出し、苦痛が消え去り、 嫌悪と拒絶を手放せるように導いてくれます。 それは、自我の思うような答えではないので、自我は、 神が助けてくれないと言い張りますが、私たちが見捨てられることはありません。 完全な一体性という真実に対し、自我は、自分はそこから離れていると主張します。 ですから、すべてのものが切り離されているバラバラの世界を見るのです。 愛の属性ではないあらゆる属性が、その世界に付与され、自我の妄想を強化しますが、 その中でも、分離を維持するために、嫌悪と拒絶は大切な要素です。 そして、それらを正当化するためには、それぞれが異なっていなければなりません。 自我にとってみれば、「嫌い」にも「好き」にも、正当な理由があり、 平等など絵空事であり、ましてや、一体性などと言われると、恐れを感じるのは当然です。 自我は、醜く、恐ろしい、極端な例を挙げては、愛することなどできない、 そのようなものと一体なはずがない、と言います。 しかし、その醜く、恐ろしい、極端なものは、自我が作り出したものであり、 自我がそのように見たいと望んだものです。 肉体の目を通して、この世界の中に存在するものを見ていると信じてきましたが、 本当は、自我が見たいと思ったものを、見ているにすぎないのです。 私たちがこの世界の中で、独自に存在していると思っているものは、 自我が見たいと望み、作り出したものに過ぎま